2月19日、日本語版が発売された『リングサイド』(著/林育徳 訳/三浦裕子 小学館刊)。
 台湾ではとてもマイナーなエンターテインメントである「プロレス」をテーマに、それに”うっかり出会ってしまった”市井の老若男女の、人生の特別な、あるいは普通の数ページを描く連作短編集です。

 10篇の短編から構成されていますが、10篇それぞれに主人公が異なり、物語を語る視点やスタイルも変わります。しかし、1篇1篇が少しずつ繋がっていき、読み進むにつれて、前の物語の新たな一面が浮かび上がってきます。
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 『リングサイド』著/林育徳 訳/三浦裕子 小学館刊 → リンク
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 「ばあちゃんのエメラルド」→ためし読み
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 著者、林育徳さんは、小説の主な舞台でもある台湾東部の小都市、花蓮出身。
 桃園、台北の大学を転学した後、花蓮にある国立東華大学華文文学系に入学。同大学院の創作コースで、小説家の呉明益さんに師事しました。本作『リングサイド』は、大学院の卒業創作です。

 『リングサイド』は、著者のプロレスへの熱い愛のかたまりでもある一方、自らの故郷・花蓮への思いが詰まった作品でもあります。

 『リングサイド』刊行にあたり、現在も花蓮に住む著者・林育徳さんに、オンラインインタビューをしました。

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台湾における「プロレス」とは?

Q. 『リングサイド』は、“プロレスに出会ってしまった”台湾の人びとの、人生に於けるあれこれを描いた連作短編集です。日本読者のほとんどは、台湾におけるプロレスの状況を知らないので、まずそこからお聞きします。現在、台湾におけるプロレスの”人気度”はどんな感じなのでしょうか?

林育徳(以下、「」):
 台湾のプロレスファンは、ざっくり言うと、日本プロレスファンと、アメリカプロレスファンの2つのグループに分けられる。

 日本のプロレスファンは、年齢層が幅広く、上は80~90代の人もいる。老年のプロレスファンは、台湾のテレビでプロレス放映が始まった頃(1970年代)からずっとプロレスを観ている人びとだ。

 以前、台北で行われた日本のプロレス団体の興行を観に行ったことがあるが、ふだんのプロレス関連イベントではあまり見かけない、あまりプロレスファンには見えない中年の人びとがたくさん来ているのに気がついた。よく観察していると、彼らは実は「プロレスファンである親の付き添い」で来ているんだ。親というのは、つまり70、80代以上の老人ということだ。年配のプロレスファンは、子供(と言っても中年だが)に付き添われてまで、大好きな日本プロレスを生で観に来ていたんだ。

 対照的に、アメリカのプロレスファンは年齢が若く、ほぼ30歳以下と言える。アメリカのプロレス団体の興行では、観客はほぼ20歳前後の若者たちだった。会場の雰囲気は、まるで人気歌手のコンサートみたいだったよ。
林育徳


Q. 現在、台湾のインディーズプロレス団体はいくつくらいあり、おおよそ何人くらいが活動しているのでしょうか?


 いまは「NTW 新台灣娛樂摔角聯盟  New Taiwan Entertainment Wrestling」と、2人の兄弟が立ち上げた「Puzzle帕舒路運動整合」の2団体が特に盛んに活動している。それ以外は、作中に名前が登場する「TWT台灣摔角聯盟 Taiwan Wrestling Taipei」「TEPW 台灣極限職業摔角 Taiwan Extreme Pro-Wrestling」なども存在しているが、この1~2年は活動が少ない、言ってみれば休止のような状態だ。それらの選手、スタッフを合わせると、全体で100名ほどが参加していると思う。
作中では台湾ローカル団体の試合は年に1~2回と書いたが、現在は、毎月どこかで何かのベントが開かれているくらいにはなっている。

 台湾のプロレスは、やはり日本プロレスの影響が大きい。地理的、文化的に近いからだろう。例えば、上にあげた「Puzzle帕舒路運動整合」の兄弟も、コロナ流行以前は、2人とも琉球ドラゴンプロレスに参加していた。また「台湾で一番成功しているプロレス選手」といえるレッカ(烈火)選手は、現在も日本のプロレスで活動している。


Q. 日本のプロレス記者、小佐野景浩さんのコラムを読んでいたら、「台湾では1980年にプロレスが法令で禁止されていた」という記述があったのですが、本当に当時は「法律で禁止されていた」のでしょうか? 


 実際のところは、法律で禁止されていたわけではない。ただ、そのころ幾つかプロレス関連の事故があったので、そのあおりを受けて、一時期、社会的な風当たりが強かったのはある。


林さんと「プロレス」の出会い

Q. 林さんがプロレスを本格的に観始めたのは大学時代とのことです。それ以前は、プロレスに対してどのような印象を持っていたでしょうか?


 大学以前は、「ふつうに」好きだった。子どもの時、おじいちゃんおばあちゃんの家に行くとテレビでプロレスをやっているので、それを観ていた。プロレスを観るには、ルールなどある程度の基礎知識が必要だが、それは持っていた。


Q. 台湾メディアのインタビューの中で、「大学時代に人生の方向性を見失って鬱々としていた時、テレビで一晩中プロレス番組を観続けていたことがきっかけで、プロレスにはまった」とありました。実際そうでしたか?


 僕が学生のころ、ちょうど台湾人投手の王建民がメジャーリーグに行って大活躍していた。同級生たちと一緒に、毎晩夜中にテレビで王建民が投げるのを観ていた。王建民の試合が終わると、更に深夜にZチャンネルでやっているプロレス番組をひとりで観るようになった。

 Zチャンネル(作中の「Xチャンネル」のモデル)について、最近は若いスタッフに世代交代して、以前ほど放送の順番はめちゃくちゃではなくなってきた。でも僕が大学生のときは、小説の中に書いたみたいに、本当にめちゃくちゃだった。恐ろしく昔の試合をそのまま繰り返し流してもいた。日本のプロレスラーが台湾に興行に来た時、観光にも食事にも行かずに、ホテルでずっとZチャンネルを観ているという話も本当に聞いた。

 そう考えると、もしテレビしか見ていない、ネットなどの他の情報に触れていない人が、既に亡くなってしまったレスラーたちが戦っているのをテレビで観ていたら、彼らが死んでいることに気が付かないかもしれない。あるいは、彼らはテレビの中で生きているのかもしれない。そういう意味で、Zチャンネルはタイムトンネルなんだと思う。


Q. 『リングサイド』に登場する人々は、プロレスに出逢うことで、心の慰めを見出したり、人生を前に進めるきっかけにしたりします。テレビの深夜放送でプロレスに出会ったとき、林さん自身は、プロレスからどのような影響を受けたのでしょうか? 


 特に自分の体験を意識して、小説に書き込んだわけではない。
 大学生の時に「自分がプロレスファンであること」を自覚した。「自分がプロレスファンであること」を発見した時は、すごく嬉しかった。たぶん、オタク的心理なんだと思うけど、プロレスは台湾ではものすごくマイナーな趣味だから、「こんな深夜にやっている、誰も観ていないような番組を俺は今観ている。誰も知らないこんなマイナーなジャンルを、俺は発見したんだぞ!」ということが、すごく得意に思えて、興奮した。

 プロレス小説を書いたのは――、日本やその他の国では、プロレス小説はひとつのジャンルになるくらいたくさん書かれているが、中国語では書かれたことがない。なぜ中国語で創作されたプロレス小説は無いのだろう? そういう本があったら、僕は絶対、貪るように読んでいるはずだ。
 僕自身が、中国語で創作されたプロレス小説を読みたかった。だから、ある意味『リングサイド』は、自分に読ませるために書いた小説でもある。


Q. 作品中では三沢光晴選手がたびたび登場しますが、これは林さん個人の思い入れでしょうか? あるいは三沢選手は台湾で人気があるのでしょうか?


 三沢光晴は台湾で本当に人気がある。スターと言っていい。彼のファンの台湾人は多い。


Q. 李愛芝(AJ)という女性が登場しますが、林さんはAJ・リー(April Jeanette、元WWE所属)のファンですか?


 作品に登場させた選手は、すべて僕自身が大好きなプロレスラーだ。

 『リングサイド』は10篇の連作短編小説だが、これだけまとまった分量の文章を書き続けるのは、かなり大変だった。だから自分を飽きさせないように、10篇それぞれに、10個の違う「挑戦」をしてみた。例えば、AJが登場する「紅蓮旅社」は、完全に女性の視点で描いている。女性の立場で物語を語ってみるという「挑戦」をしてみたんだ。


故郷に戻り、小説を書くまで

Q. 林さん本人のことをうかがいます。大学を2つ替わり、卒業した花蓮の東華大学は3つ目の大学だったそうですが、それぞれ何を学んでいたのでしょうか?

林:
 高校生の時はいわゆる「文青(文藝青年)」で、詩をよく書いていた。だから、大学でも引き続き、文学や創作のことを学びたいと思っていた。

 高校卒業後、花蓮から離れたくて、桃園県(注:台湾北西部の県)の中央大学中文学部に入った。でも、台湾の大学では、外国の英文学とか仏文学とかではそれぞれの言語の文芸作品について学ぶけれど、なぜか「中文学部」では、作品そのものではなく、中文についての学術的なことを学ぶ内容になっている。大学に入る前に僕が期待していた内容とはだいぶ違っていて、やる気がなくなってしまった。
 桃園からもっと北上してみようというのもあり、国立台北教育大学の語文創作学部に入りなおした。でも台北教育大学は100年以上の歴史のある、とても厳粛な校風の大学で、ここも自分には合わなかった。
それでいったん花蓮に帰り、とりあえず兵役(当時は1年間だった)を済ませてから、また別の大学に入りなおそうと思った。

 でも先に兵役に行くことには、母が「兵役から帰ってきてまた学業に復帰したくなる人なんて聞いたことがない。ほとんどの人は、いちど兵役に行って帰ってきたら就職してしまう」と言って反対した。当時、洪仲丘事件(注:兵役中の青年・洪仲丘が、いじめに近い体罰を受けて亡くなった事件)が世間を騒がせていて、母は僕を兵役にやりたくなかったんだと思う。
 結局、地元・花蓮の東華大学の華文学部に2年から編入し、研究所(注:大学院)まで学んだ。

 うちの父はわりと保守的なタイプで、僕がそうやって大学を転々としながら文学を志していたことには、不満だったと思う。文芸創作なんて、趣味でやることだと。僕はどちらかというと母と仲がいい。母は僕と同じくうお座生まれで、ちょっとロマンチックなところがあるせいか、僕の夢を応援してくれた。


Q. 最終的には、故郷の花蓮で創作を学び、花蓮を舞台にした『リングサイド』を書いたんですね。

林:
 うん。でも実は、花蓮の僕の周囲の友人たちで、地元の大学に行こうと思う人は、ほとんどいない。だから、花蓮に戻って地元の大学に通った僕は、かなり珍しい存在だと思う。

 18歳の時の僕の夢は、「花蓮を離れること」だった。花蓮県は、台湾の県の中でも面積が大きい方だ。だが「地大人少」と表現されるように、人口は少ない。
 僕の高校時代の先生たちは、ほとんどが父の高校の同級生だった。先生たちが僕を見るとき、僕の背後に必ず父の影を見ている。つまり、僕はいつまでたっても「○○(=父)の息子」であって、「僕そのもの」ではないんだ。こんな人と人とのつながりが濃すぎる花蓮から逃げ出したい気持ちがあった。

 だけど、結局、花蓮を離れていたのは、ほんの2,3年だ。進学で桃園、そしてさらに台北にも住んでみたけど、そういう土地はときどきちょっと行ってみるのは悪くないが、僕がずっと住むところではなかった。住んでいる間、ずっと、居心地の悪さを感じていた。

 桃園の中歴にいたころ、その年の双十節(注:10月10日、中華民国建国記念日)の休みに、急に海が見たくなった。僕はスクーターで、40~50分のところにある一番近い海まで行ってみた。僕が期待していたのは、花蓮でいつも見ていた海だった。花蓮では、スクーターで10分や15分も行けば、そこに太平洋が広がっている。
でも、桃園から小一時間もかけてようやく着いた海は、全然整備されてない、汚い漁港だった。しかもその海は、花蓮で見慣れたでかい太平洋ではなく、台湾海峡だったから――台湾海峡はあまり深くない感じがする――海の雰囲気そのものも違っていた。ものすごく失望して、やっぱりここにはいられないな、と思った。

 今は、花蓮にいることはとても気に入っている。

――以下、『リングサイド』著者 林育徳さんインタビュー「小説は、タイムカプセルだ」(後編)につづく

取材:2020年10月1日午後
聞き手/三浦裕子(店員S)、協力/黄碧君(エリー店長)


著者プロフィール:林 育徳(リン・ユゥダー)
1988年台湾・花蓮生まれ。プロレスファン。花蓮高校卒業後3つの大学を転々とし、6年かけて卒業。東華大学華文文学研究所(大学院)で、呉明益氏に師事。中学時代から詩作を中心に創作活動を展開し、全国学生文学賞、中央大学金筆賞、東華大学文学賞、花蓮文学賞、海洋文学賞など受賞歴多数。『リングサイド』収録の短編《阿嬤的綠寶石》(ばあちゃんのエメラルド)で、2016年第18回台北文学賞小説部門大賞受賞。『リングサイド』(原題:擂台旁邊)は大学院の卒業制作。現在も花蓮在住。

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