『歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』呉明益さんの、もう一つの代表作と言われる長編『複眼人』の日本版が2021年4月5日に刊行されます。

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 呉明益『複眼人』  
 訳 小栗山智 KADOKAWAより2021年4月5日刊行
 本体2,200円+税 リンク

 呉明益さん自身のイラストによる、台湾原書に近いカバーデザインです。


 太平洋の真ん中に浮かぶちっぽけな島、ワヨワヨ島。
 口減らしのため、長男以外の男子は島に残れないという掟に従い、少年アトリは、手製の草舟で大海へ漕ぎ出す。
 食料も水も尽きかけたころ、今まで見たこともない様々な物でできた巨大な島のようなものに出くわし、アトリはそこに上陸する。

 台湾の東海岸の大学で文学を教えていたアリスは、夫と小さな息子を山の事故で失い、海の際に建つ家で、たったひとり絶望の日々を送っている。布農(ブヌン)族の山岳レスキュー隊員ダフや、阿美(アミ)族のカフェ店主ハファイら、それぞれに過去の傷を追う隣人がアリスに寄りそうが、アリスの心は癒されない。

 ある日、大地震が発生し、それに伴う津波で、アトリを乗せた「ゴミの島」が、台湾東海岸を襲う。
 絶望を経験した孤独な2つの魂が、台湾で出会う……。

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 台湾文学のいまを代表する作家、呉明益さんの作品には大きく分けて2つの流れがあります。
 ひとつは今まで日本で紹介されてきた『歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』のような、自身の過去から出発するノスタルジーたっぷりの作品

 そしてもう一つの流れが、今回の『複眼人』や、今年秋に日本語版が刊行予定の『苦雨之地』のような、「いま、ここ」や「ごく近い未来」を舞台に、「人と自然の関係を考える」作品です。

 『複眼人』には、現代の文明――産業や、現代人の生活様式――によって損なわれてきた地球の生態や環境について、かなり直接的な問いや批判が描かれています。
 また台湾で、開発や経済発展が進む過程で、そこから排除されてしまった人々、かつての日常を奪われた人々、失われていった土着の信仰や精神についても、様々な角度から描かれています。

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 タイトルにある『複眼人』は、作品の登場人物が深い山の中で出会う「無数の小さな湖が連なる大きな湖」のような目を持った謎の男のことです。この不思議なタイトルについて、著者・呉明益さんは、かつてこう話しました。

「台湾は、変化に富んだ、複層的な豊かさを持つ自然環境に恵まれた島で、
 人々はもともと自然と調和して生きていました。
 しかしこの約50年間、都市化や経済の発展と共に、台湾人はそのことを忘れていきました。
 この小説のタイトルを『複眼人』としたのは、台湾に生息するたくさんの美しい蝶たちが持つ複眼のように、多元的な観点から、もう一度私たちの島を見直していこう、という意味があります」


――2015年6月26日
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 日本では『歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』が先に翻訳されたため、日本の読者の中での呉明益さんは、前者の「ノスタルジー系の作品を描く作家」という印象があるかもしれません。実は、日本以外の国(特にヨーロッパ各国)では、この『複眼人』が呉さんの代表作であると認識されています。

 呉さんは、作家のキャリアをネイチャー・ライティング(自然環境と人間との共生を考えるノンフィクション)からスタートさせました。現在も自然や原住民文化が色濃く残る花蓮の大学で教鞭をとり、環境団体に参画するなど、自然環境問題に強い関心を抱き続けています。
 2018年には、黒潮海洋文教基金会という団体の船に乗り、台湾周辺の海洋汚染や生態系の状況を調査観察、記録する台湾島一周の航海に同行しました。(その時の記録は《黑潮島航:一群海人的藍色曠野巡禮 Beyond The Blue : Kuroshio’s Voyage》というノンフィクションとして出版されています)。
  
 本国台湾で、呉さんは若い読者にとても人気がありますが、「自然と人間を描く作家」という印象が強いです。

 既に『歩道橋の魔術師』『自転車泥棒』を読んだ人は、まったく新しい呉明益作品の世界に驚くことでしょう。
 まだ読んだことがない人は、ぜひここから、世界が注目する台湾の作家の作品を読んでみてください。


『複眼人』呉明益 
・2011年 台湾・夏日出版社が刊行
・2016年 台湾・新経典文化が新装版で再刊行
・2021年現在、世界15か国に翻訳権を許諾。
 (英語、フランス語、トルコ語、チェコ語、ハンガリー語、スエーデン語、タミル語、簡体字中国語、ドイツ語、イタリア語、カタルーニャ語、ポーランド語、インドネシア語、ベトナム語、日本語)
・日本版 訳 小栗山智 KADOKAWAより2021年4月5日刊行 
 本体2,200円+税 リンク

●受賞歴、その他:
・2011年 台湾 中国時報「開卷年度好書」入選
・2012年 台北国際ブックフェア 「書展大獎」小説類大賞受賞
・2014年 フランス「Prix du livre insulaire(島と文学賞)」小説部門大賞受賞
・2015年 中国『Time Out Beijing』誌「The best Chinese fiction books of the last century」入選
・2021年 第71回ベルリン国際映画祭「Books at Berlinale」(映画化に向いている本) 入選
・2021年 Lukas Hemleb氏により舞台化。4月24日,25日、台中・国立歌劇院にて上演

(店員S)

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