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朱宥勳『他們沒在寫小說的時候-戒嚴台灣小說家群像』
(仮題:小説を書いてないときー戒厳令下の台湾小説家たち)
大塊文化 2021年9月  306ページ  約10万字 

戒厳令下の台湾小説家群像

 幾つもの外来政権に統治され続けた台湾は、文学においてもその影響が深刻だ。戦後、五十年に渡った日本時代が終わり、国民党政権がやってきた後、文学青年と作家たちは言葉の断裂で、長らく苦しんでいた。日本語教育を受けた本省人は日本語による創作が続けない上に、日本時代から継承し発展してきたものをほぼ全て否定された。一方、外省人が中国から受け継いだ中国文学の伝統も、反共思想によって殆ど切断された。1950年代以降は国民党政権に認められた反共文学が大きく奨励されてきて、文壇は不毛地帯になった。

 外からの情報が乏しく、言論不自由で、監視された社会に置かれた小説家の閉塞感を容易に想像できる。著者・朱宥勳がその時代を生きた9人の台湾小説家を焦点に、小説を自由に書けない時期にどういうふうに人生を生きて、どんな手段で文学を求め、困難な時代と向き合ってきたのかを、作家が歩んだ道や決断に寄り添いながら、論じた。

 例えば自身が北京語という外国語を新たにマスターするには限度があると認めた鍾肇政は同じ立場の本省籍の小説家と文通し、みんなを繋げて、小説執筆に励まし合おうと努力してきた。自分の創作だけではなく、常に相手の小説の発表する場を気にかけていた。

 ずっと病気と戦っていた鍾理和は文学賞を受賞されても当局に無視されつつ、原稿さえ返されず刊行もままならない悲惨な苦境に陥ったが、人生の最後まで小説創作に力尽した。

 戦前西川満に師事した葉石濤は若い時小説家としてデビューしたが、その後評論執筆に転向した。同じ世代の台湾作家の作品を広めるため、評価を発表し続けて、台湾初の台湾文学史まで書くようになった。彼はどんな心境転換をしたのか。

 大阪生まれ北京育ちの林海音は戦後家族と台湾に帰って、北京語も台湾語も客家語も堪能な彼女は、新聞の文芸欄の編集長として務めた時期に、外省人贔屓の文壇にも拘らず本省人に小説を載せるチャンスを与えた。言語と性別と政治のバランスをうまく保ちつつ、多くの新人にデビューする場を提供した。

 個性的で奇数な道を進んだ陳千武、聶華苓、郭松棻、陳映真、七等生の人生も照らし合わせれば、特殊な戒厳台湾文学史の一面をはっきり見えてきた。

 彼らの作品は現在の台湾の読者にあまり馴染まなかった理由はその時代背景に大きく関係する。彼らの人生はまさに「小説より奇」であると言える。本書を読むと、台湾の戒厳時期の実態がよりわかる。台湾の政治状況だけではなく、背後にある冷戦の米露の動きと争いまで浮かび上がる。なお、作家たちが残した影響の大きさを感じ取ることができる。彼らの小説を若い時から読破した著者が台湾文学の若手の旗手で、小説家でもある。鋭い作品分析をベースに、論理的で社会学的分析に長けた著者だからこその評伝だ。


【著者】朱宥勳(チュー・ユォシュン Chu Yu-Xien)
 1988年、台湾桃園人。小説家、評論家、コラムニスト。清華大学人文社会学科卒業、同大学大学院台湾文学研究所修了。台湾文学の普及のため、講演や教科書編纂、文学関連クラスの講師などを務め、多岐に活躍している。

 著作は短編小説集『誤遞』(2010年)『堊觀』(2012年)、長編小説『暗影』(2015年)『湖上的鴨子都到哪裡去了』(2019年)、ノンフィクションに『學校不敢教的小說』(2014年)『只要出問題,小說都能搞定』(2017年)『作家生存攻略:作家新手村1技術篇』『文壇生態導覽:作家新手村2 心法篇』(2020年)など多数。

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(店長エリー)